150年の道のり

※本ページでは、1876年の創業から1995年までの
主な出来事を掲載しています。
1996年以降については、準備が整い次第、公開予定です。

第4編 
大日本分割と
日本麦酒の船出1949 - 1963年

戦後の荒波と大日本麦酒の分割

1945(昭和20)年の終戦を迎え、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導のもと、日本では財閥解体や独占禁止法の制定など、経済の民主化が強力に推し進められました。時代が大きく変容する中で、国内ビール市場で圧倒的なシェアを占めていた大日本麦酒は「過度経済力集中排除法」の指定を避けられず、1949年9月、「日本麦酒株式会社」と「朝日麦酒株式会社」の2社に分割されました。43年にわたる歴史に幕を閉じ、日本のビール業界は新たな時代を迎えます。

この分割により、当社は「日本麦酒」として新たなスタートを切ることになりました。新生日本麦酒の誕生です。工場は札幌、川口、目黒、名古屋、門司の5工場を継承しましたが、全国を網羅するには工場の配置に偏りがあり、特に関西市場が空白地帯となるなど、販売面で多くの課題を抱えた厳しい船出となりました。

  • 「大日本麦酒」の解散と「日本麦酒」、「朝日麦酒」両社の設立挨拶状
    「大日本麦酒」の解散と「日本麦酒」、「朝日麦酒」両社の設立挨拶状

ヱビス、サッポロ改め、
新ブランドの挑戦

1949年5月に料飲店の再開が許可され、東京では6月から営業を開始し、次第に活気を取り戻していきます。同年12月には各社が戦時中に使用していた統一商標「麦酒」を廃止し、独自のブランドを復活させました。アサヒビール、麒麟麦酒が戦前から国民に馴染みのある商標を復活させたのに対し、当社は大きな決断を迫られます。

継承した「ヱビス」と「サッポロ」の両ブランドは、それぞれ北海道と関東という特定の地域で絶大な人気を誇っていましたが、全国的なブランドとしては一長一短がありました。全国展開を見据え、継承ブランドではなく、企業名と商品名を一致させる新しいブランド『ニッポンビール』を発売しました。星のマークこそ「サッポロ」から引き継いだものの、消費者に馴染みのない新ブランド「ニッポン」は市場になかなか浸透せず、販売シェアは年々低下の一途を辿ります。この間、広告宣伝に力を注ぎましたが、勢いを取り戻すことは容易ではありませんでした。

  • 『ニッポンビール』のポスター
    『ニッポンビール』のポスター

北の大地に希望の光、サッポロ復活

『ニッポンビール』の苦戦が続く中、販売の最前線を中心に、社内では伝統ある「サッポロ」ブランドの復活を望む声が日増しに高まっていきました。1956年3月、札幌工場創業80周年を記念する形で、13年ぶりに『サッポロビール』を発祥の地・北海道限定で復活発売します。

復活を待ちわびた道産子たちの熱狂的な支持を受け、サッポロビールは驚異的な売れ行きを見せ、道内のビール市場は瞬く間にサッポロ一色となります。東京の本社ではニッポン、サッポロ両ブランドの市場調査を実施。その結果、ニッポンは若者層に人気があるものの、40代以上では低く、一方のサッポロは年代層を超えて高い知名度と好評を得ていることが判明。サッポロビール全国復活への大きな足がかりとなりました。

  • 北海道での『サッポロビール』復活ラベル
    北海道での『サッポロビール』復活ラベル

全国への再挑戦と新たな躍進

市場調査や品質の再設計などの準備を経て、1957年2月、満を持して『サッポロビール』が全国で復活発売しました。『ニッポンビール』との併売という形でのスタートでしたが、消費者の人気は急速にサッポロビールへと移り、製造も全工場で行われるようになりました。わずか1年後には当社のビール出荷量の3分の2を占めるまでに至ります。

戦後、大日本麦酒の分割により誕生した日本麦酒は、ニッポンビールという新ブランドで出発しましたが、消費者に浸透せず苦戦を強いられました。しかし1956年、北海道でサッポロビールを復活させ全国展開へと踏み切った決断は当社の転機となり、消費者志向の重要性と技術革新の必要性を示し、サッポロビールの発展を支える確かな基盤となりました。

  • 全国復活発売時のポスター
    全国復活発売時のポスター

広告宣伝活動の再開

戦時中に禁止されていた商標の使用が1949年に認められたことに伴い、ビール業界の宣伝活動も再開されました。
『ニッポンビール』の広告で特筆すべきものとして、1954年の「ビールの王さま」があります。当時の新進漫画家・やなせたかしによるイラストキャラクターを使用した一連の広告は、従来とは一線を画す施策であり、統一感のあるクリエイティブとして注目を集めました。

  • 「ビールの王さま」のポスター
    「ビールの王さま」のポスター

また、1957年の『サッポロビール』の復活に伴い、広告も「本場の味」を強調するものへと変化しました。このコンセプトを形にしたのが、1958年の「ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー」の広告です。まだ自由な海外渡航が許可されていない時代に、世界のビール三大名産地を北緯45°で結び付けたキャッチフレーズは、斬新かつ説得力があり、大きな反響を呼びました。サッポロ(札幌)が世界のビール本場と肩を並べる存在であるという企業イメージを強く印象づけました。

  • 「ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー」のポスター
    「ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー」のポスター

第5編 
社名変更—新生サッポロビール1964 - 1976年

★のマークで88年

1960年代の日本は、東京オリンピック開催、IMF(国際通貨基金)8条国への移行、OECD(経済協力開発機構)加盟を果たし、「いざなぎ景気」で世界第2位のGNP大国へ成長しました。国内のビール需要は、1959(昭和34)年に全酒類出荷量の約40%を占め、清酒を抜いてトップ商品となります。業界内では新商品開発が活発化し、企業間競争も激しさを増していきます。

当社は1964年1月1日、日本麦酒株式会社からサッポロビール株式会社へと社名を変更し、本店所在地も東京都目黒区から中央区銀座へ移転しました。大日本麦酒の分割から15年を経て、復活した『サッポロビール』を軸に商品名と社名を一致させる決断をします。

  • 社名変更のポスター
    社名変更のポスター

前年に発売された特大サイズの『サッポロジャイアンツ』(1957ml)のヒットは、新社名のスタートを力強く支えました。また、1964年1月の社名変更に合わせ、出荷されるビールには「新社名 サッポロビール株式会社 ★のマークで88年」と記された記念ネックラベルが貼付され、新たな時代の到来を印象づけました。

  • 『サッポロジャイアンツ』のポスター
    『サッポロジャイアンツ』のポスター

激化する競争と多様化戦略

社名を一新したサッポロビールは、多様化する消費者ニーズに応えるべく、次々と新しい商品を市場に送り出します。
包装容器については、1965年に日本で初めて栓抜き不要の「ワンタッチクラウン」を採用した『サッポロストライク』を発売。手軽さが支持され、発売3か月で約180万函を売り上げるヒット商品となりました。

  • 『サッポロストライク』のポスター
    『サッポロストライク』のポスター

また、缶ビールの容器革新も進み、同年には缶切り不要の「プルトップ缶」を採用。1972年からは缶底と胴部が一体化したアルミ製のツーピース缶を導入し、スチール製に比べ、見た目が美しく軽量化も進みました。缶ビールは発売以来10年以上も普及率が1~2%と低迷していましたが、ライフスタイルの変化と自動販売機の普及も相まって、徐々に販売量を伸ばしていきます。

  • 1959年に発売した当社初の缶ビール『缶入りサッポロビール』のポスター
    1959年に発売した当社初の缶ビール
    『缶入りサッポロビール』のポスター
  • プルトップになった『缶入りサッポロビール』
    1965年にプルトップになった『缶入りサッポロビール』

中味開発では、麦汁エキス濃度を高めたコクのある味わいが特徴の本格的ドイツ風のビール『サッポロファイブスター』(小びん)を1967年に発売。通常ビールより10円高い価格設定は当時業界では画期的なことと受け止められました。このほか、ノンアルコールのビールテイスト炭酸飲料の発売、個性的な輸入ビールの取り扱いを開始するなど多彩な商品ラインナップで伸びゆくビール需要に対応しました。

  • 『サッポロファイブスター』のポスター
    『サッポロファイブスター』のポスター

「男は黙ってサッポロビール」

1966年、1967年の2回にわたって、(財)日本消費者協会が「ビールの味覚テスト」を実施しました。国産5銘柄を目かくしして試飲するというもので、いずれもサッポロビールがトップに選ばれ、これをきっかけに、全国各地で目かくしテストのイベントを開催します。

さらに1970年には、映画俳優・三船敏郎を起用した「男は黙ってサッポロビール」の広告展開を打ち出し、コマーシャルや店頭ポスターなどあらゆる媒体で露出を図りました。ポスターのデザインは極端なまでに単純化され、ロゴもボディコピーもラベルすらありません。テレビCMの音声は音楽だけで、画面には文字だけが流れる「黙った」広告でした。この沈黙の広告は大ヒットし、一世を風靡しました。

  • 1970年の「男は黙ってサッポロビール」のポスター
    1970年の「男は黙ってサッポロビール」のポスター

『ヱビスビール』、28年ぶりの復活

1971年12月、戦前の人気ブランド『ヱビスビール』を復活させます。戦時下の1943年にすべての商標が停止されて以来、28年ぶりのことです。

技術陣は復活に際して、単なる戦前のブランドを復活させるのではなく、高品質なドイツタイプのビールの商品化に取り組みました。ドイツでは1516年の法律「ビール純粋令」により、大麦、ホップ、水以外の使用を認められていません。したがって、ドイツタイプのビールとは米やコーンなど一切の副原料を使用しない麦芽100%ビールのことです。しかし、当時の技術陣には麦芽100%ビールを醸造した経験がありませんでした。研究を重ね、ついに国産ビールで戦後初の麦芽100%を実現。

ポスターの広告コピーは「名品。いま、よみがえる。特製ヱビスビール。」その品質の高さから大きな人気を博しました。『ヱビスビール』発売に先立ち、目黒工場の名称も恵比寿工場に改称。それほどヱビスにかける意気込みは大きなものでした。

  • 『ヱビスビール』復活時のポスター
    『ヱビスビール』復活時のポスター

販促施策として、びんビールの王冠裏に「金ヱビス」「銀ヱビス」の文字を印刷し、当選者には、賞品として、金または銀の恵比寿像をはめ込んだお守りをプレゼントする企画を展開。これは単なる景品提供ではなく、ヱビスブランドの世界観を体験として届ける試みであり、商品を通じて語られる物語性を強化する役割を果たしました。

  • 「金ヱビス」「銀ヱビス」
    「金ヱビス」「銀ヱビス」

『ヱビスビール』の販売数は1973年の石油危機の影響もあって減少していきましたが、静かにその灯を守り続け、次なる飛躍の時を待ち続けました。やがてその価値は再び評価され、現在では当社を代表するメインブランドの一つとして定着しています。