HOMMAGE × 角田 光代

No

13

Vol.5 大地に、海に、この町に感謝をしつつ。

NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・HOMMAGE
東京都台東区浅草

「フランス人シェフに“料理人よ地元に帰れ”という言葉を教わりました。自分も地元のために料理を作りたかった」と荒井シェフ。その舞台は浅草にて「どんな料理が出てくるのか楽しみです!」と角田さん。

浅草寺を抜けて、言問通りを渡ると、浅草の町はがらりと印象を変える。各国の旅行者であふれるにぎやかさは消え、整然とした通りに、こぢんまりとした飲食店や商店が点在する、落ち着いた住宅街といった雰囲気だ。この浅草の町で生まれ育った荒井昇さんがシェフを務めるレストラン「オマージュ」は、この静かな町なかにある。
今日いただく料理は、ビーツとキャビアの一品だという。厨房にお邪魔して調理の工程を見せていただく。ホイル包みにし、オーブンで一時間半ローストしたビーツを、ブナの木のチップでスモークし、それを細かく切っていく。ビーツの色鮮やかさにも驚くが、広がるスモークの香りの強さにも驚く。細かく細かくカットされていくビーツの、紫色に近いような深い赤は、ローストされただけなのに、ゼリーや飴のように加工されたうつくしさに見える。
そのビーツに、粒くらい細かくカットされたエシャロット、ペースト状のケッパー、ホースラディッシュを加えて混ぜこみ、塩、エクストラバージンオイル、白胡椒をかける。
セルクル(円形の型)に、ビーツ、キャビアを交互に重ねて抜くと、ケーキみたいなうつくしい一品になる。その上から冷たいヴィシソワーズをかけていく。

ビーツ、ジャガイモ、キャビアを食材のメインにしたひと品。海のものと山のものを合わせることによって味の奥行きを演出し、それが「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」の余韻とも絶妙なペアアリングを創造する。

  • 調理の過程を見学する角田さん。キッチンでは荒井シェフとの会話も弾む。「今回も想像がつかない料理。どんな仕上がりになるのか楽しみです」と角田さん。

  • 今回、荒井シェフが考案した料理のメインとなる食材はビーツ。レッドビーツを、ホイルで包み、180度のオーブンで1時間半ほどローストする。

  • 上記の次工程は、レッドビーツを厚切りにカットし、ブナの木でスモーク。その後、香りを纏ったビーツを細かくカットし、食感にアクセントを加える。

  • 「是非、香りをたのしんでみてください」と荒井シェフ。燻製したビーツの香りを嗅ぐ角田さん。「うわー、良い香り!うっとりします」。

  • 燻製したビーツは牛肉のタルタルのように細かく刻む。仕上がった料理を食べた瞬間、「食感もタルタルのようになり、肉のような錯覚さえ感じます!」と角田さん。

  • 燻製したビーツを細かく刻み、ケッパー、エシャロット、レフォール、アサツキ、白胡椒、塩、オリーブオイルなどを混ぜ、ベースは完成。

料理の仕上げにヴィシソワーズを流し込む。ヴィシソワーズは、薄切りの玉ねぎとポロネギをバターで炒め、スライスしたジャガイモ、ブイヨンを入れて煮る。ミキサーにかけて牛乳とクリームを加え、味を整えて冷やす。「これだけでもおいしい!」と角田さん。

一口食べて、まずは言葉が出てこない。今まで食べたことのないものだ、ということだけがわかる。コントドシャンパーニュを一口飲み、また料理を一口食べて、ああ、おいしいとしみじみ口をついて出る。キャビアの塩気と香り、立ち上るスモークの香ばしさ、ビーツのほんのりした甘みと滋味深さ、ヴィシソワーズのクリーミーなやさしさが、みごとに調和している。ビーツのつぶつぶ感とキャビアのつぶつぶ感も、混じり合ってものすごくおいしい。
そのあとでシャンパーニュを飲むと、きりっとひきしまった味が際立つ。食べていると、ビーツの赤い色がスープに溶け出して、ヴィシソワーズがピンク色になっていくのもおもしろい。それにしても、ボルシチ以外でビーツを食べたことのなかった私は、ビーツっておいしいんだ、と感動した。口に残ったつぶつぶの一粒まで、おいしい。
テタンジェに、どうしてこの料理を合わせようと思いついたのか、荒井さんに訊いた。コントドシャンパーニュを飲んだときの印象が、大地の力強さと、泡のクリーミーさだった、そこからの発想だと荒井さんは言う。畑の作物ビーツと、海の恵みキャビアを組み合わせて、スモークで中和させる。さらに、テタンジェと料理をいっしょに味わうことで双方の味が微妙に変わっていくのがおもしろいと思い、ヴィシソワーズの色の変化をそれに重ねてみた、とのこと。発想の柔軟さ、ゆたかさにびっくりする。

ビーツとキャビアはミルフィーユ状に形成。味はもちろん、キャビアの粒と細かく刻んだビーツのサイズ感が見事な食感の融合を成す。「食べるたびにビーツの色が白いヴィシソワーズに溶け出し、美しい!」と角田さん。「その溶け出す見た目変化と味わいの変化、そして、同じく時間によって変化するコントドシャンパーニュの味わい。この3つの変化をお楽しみいただければと思います」と荒井シェフ。

  • 「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン”を飲んだ時、大地の力強さを感じました。それがビーツに結びつくのですが、シャンパーニュと言えばキャビアの印象もあり、それをどう組み合わせれば良いペアリングになるのかを熟考しました」と荒井シェフ。

  • 「ビーツと言えば、ボルシチや酢漬けなどの印象ですが、今回のように手の込んだ料理で味わうビーツ体験は初めてです」と角田さん。

「泡の細かさ、クリーミーさが特に印象的でした。フランス料理の代表的なヴィシソワーズを採用することで、ノーブルなシャンパーニュに別のステージの味わいを表現したかった」と荒井シェフ。

フランス料理の道に進んだのはたまたまだった、という荒井さんは、フランスの星つきレストランでもフランス料理を学び、2000年に自身の店をオープンさせた。フランス料理の伝統に敬意を払うことを信念としている。どんなに独創的な発想も、重厚なフランス料理を礎にしている。
もう少し若いときは、頭のなかで思い描いて組み立てた味は、九割がた、そのままを実現できると思って調理していたけれど、今は、茹でかた、切りかた、火の通し具合、素材の組み合わせ、すべてにおいて試行錯誤をくり返し、それをスタッフ全員で共有することをだいじにしている、と話す。

「フランス料理で一番大事にしていることはなんですか?」という角田さんの質問に対し、「情熱を持ち続けること」と荒井シェフ。

  • 「料理の核となるビーツやキャビア、ビソシワーズだけでなく、薬味も一体になっているのがすごいと思いました! 一口食べた後に“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン”を飲むとキリッと引き締まり、双方の味が際立ちます」と角田さん。

  • 「今回、一流なシャンパーニュと一流な食材を合わせる料理を考案したくありませんでした。なぜなら、絶対合うのは当たり前だからです。ビーツやジャガイモのような一般的な食材を“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン”のようなグランクリュの高貴といかに肩を並べられる味にできるかを挑戦したかった」と荒井シェフ。

「日本人である自分が異国の味を表現させていただいているので、よりフランス料理の文化に敬意を払いたいと思っています。正しい技術や思考を学び、曲がった発信はしてはいけないとも思っています」と荒井シェフ。「食べ物を通して人を呼べるって本当に素晴らしい」と角田さん。

荒井さんの話のなかで興味深かったのが、2010年前後の、考えかたの変化についてだ。フランス料理に求められるものが、そのあたりから変化してきたと荒井さんは感じたのだそうだ。「これがフランス料理」という大きな枠ではなくて、もっとパーソナルなものが求められているように感じた。作り手の荒井さんも、料理における自分の表現のありかたを今まで以上に模索するようになった。あくまでもフランス料理の基礎をだいじにしながら、「今」のおいしさにアプローチしていきたい。そう思うようになって、作りたいものが明確になってきたという。料理の個性が、よりはっきりしてきたということなのだろう。
荒井さんが感化されたフランス人シェフの言葉に、「料理人よ地元に帰れ」というものがある。地元の市場で食材を買い、地元の食に貢献せよ、ということだ。店名の「オマージュ」は、荒井シェフの抱く、食材への、生産者たちへの、ともに働くスタッフたちへの、フランス料理という世界への、そして生まれ育ったこの浅草への、すべてへの敬意をあらわす店名なのだろう。

「ペアリングは物語を大切にしたいと思っています。そうすることによって互いの価値を増したい」と荒井シェフ。「次回は、コース料理でペアリングの物語を体験してみたいです!」と角田さん。

ビーツとテタンジェ。

テタンジェと料理をペアリングさせると、
ひと口ごとに双方の味が変わっていく。
そこにインスパイアを受けた
浅草「オマージュ」の荒井シェフは、
スプーンを通すたび、ビーツの赤が
ヴィシソワーズに溶け出して
色合いが変わるひと皿を生み出した。
ビーツやジャガイモといったなじみの食材でも、
“コント・ド・シャンパーニュ”と融合することで
まったく未知のストーリーが生まれる。
ペアリングを超える小説家は
いないのかもしれない。

HOMMAGE

角田 光代

1967年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学第一文学部卒業。90年「幸福な遊戯」で第9回海燕新人文学賞を受賞し、デビュー。96年「まどろむ夜のUFO」で第18回野間文芸新人賞、98年「ぼくはきみのおにいさん」で第13回坪田譲治文学賞、「キッドナップ・ツアー」で99年第46回産経児童出版文学賞フジテレビ賞、2000年第22回路傍の石文学賞、03年「空中庭園」で第3回婦人公論文芸賞、05年「対岸の彼女」で第132回直木賞。06年「ロック母」で第32回川端康成文学賞、07年「八日目の蝉」で第2回中央公論文芸賞、11年「ツリーハウス」で第22回伊藤整文学賞、12年「紙の月」で第25回柴田錬三郎賞を受賞、「かなたの子」で泉鏡花文学賞受賞。14年「私の中の彼女」で河合隼雄物語賞を受賞。