オード × 角田 光代

No

11

Vol.3 シャンパーニュと無数の扉

NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・オード
東京都渋谷区広尾

「ただ“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン”に合わせるだけでなく、今の気候も加味して今回は料理を考案しました」と話す生井祐介シェフ。猛暑の取材当日、「暑い日に頂く今回の逸品は、冷たくて嬉しい!」と角田光代さん。その料理の正体は、下記にてお楽しみを!

熱中症警戒アラートが発令されるくらい暑い日、できるだけ日陰をさがして移動しながらレストラン「オード」を目指す。グレーのカウンターがキッチンを囲むシンプルな店内。厨房への入り口に取りつけられた「オード」の提灯がチャーミングだ。キッチンに、見たことのあるようなないような機器が設置されている。あれはなんでしょうと、シェフの生井祐介氏に訊くと、かき氷製造機という意外な答えが返ってくる。フランス料理店にかき氷……デザート用?
「今日はガスパチョのかき氷をお出しします」と、これも想像のはるか上をいく答えが返ってくる。
その答えに驚きつつも、実は私は「やった!」と心の中でガッツポーズをとるくらい嬉しくなった。本当に暑くて、きーんと冷たいものを心底欲していたのである。
厨房でガスパチョの作りかたを見せて頂く。キュウリの芯をくりぬいて細切りにしたもの、ごく薄く切られた大葉、隠し味の梅干し、かすかに金色の液体が用意されている。この液体、なんと大量のトマトをミキサーにかけ、一晩かけて布濾ししたトマトウォーターなのだという。ひと口飲ませてもらうと、透明に近い液体から凝縮されたトマトの旨味が立ち上る。
キュウリと大葉をごま油でさっと炒め、梅干し、生姜汁とレモン汁、コニャックをひとたらし入れて、ミキサーで攪拌(かくはん)し、急速冷凍する。
料理の完成形にも驚かされる。エキストラバージンオイルをたらしたガスパチョのかき氷は、コリアンダーの花がちりばめられていて、まるでアーティフィシャルグリーンのようだ。一緒に供されるのは花束みたいなハーブ。コリアンダー、レモンバジル、ミントで、好きなものを好きなように摘んでガスパチョに散らして食す。

今回、生井シェフがテタンジェに合わせて用意した料理は、「胡瓜のガスパチョ」。キュウリをベースにしたそれは、これがガスパチョ?と思わせる容姿だが、それもそのはず。凍らせたスープをかき氷のようにして皿を覆い、ハーブを自ら摘んで一緒に頂く。芸術的な逸品である。

  • 付け合わせのハーブは、コリアンダー、レモンバジル、ミントなど。盛り付けの妙も手伝い、架空の畑を彷彿とさせる。「バジルは、和歌山の『ヴィラ・アイーダ』さんから取り寄せたものになります」と生井シェフ。「食材は、できるだけ生産者さんから直接取るようにしています。市場に出るものも良いのですが、欲しいサイズや収穫時期など、阿吽の呼吸はコミュニケーションから生まれるので。いつかは自分も畑をやりたい」と続ける。

  • 今回の料理に使用する主な食材は、上から時計回りにトマトウォーター、梅干し、キュウリ、大葉。全て、時間と手間のかかった仕込みがなされている。

  • トマトの種を丁寧に取り、ミキサーに。更に丸一日ゆっくり布濾しし、混ざっている個体を取り除くと、透明なトマトウォーターが完成。「え! これトマトなんですか!?」と角田さんも驚くほど、クリアな液体。生井シェフに勧められ、スプーンで口に運ぶと「わー! トマトだ!(笑)」。

  • 「今回の料理ではキュウリの青臭さを消したいので、一度炒めます。風味とコクを出すためにごま油も加えます」と生井シェフ。フライパンからは火が立ち上り、その光景はまるで中華!? 「キュウリと油の相性は、とても良いんですよ」と生井シェフは話す。

  • 炒めたキュウリと大葉に生姜汁とレモン汁、トマトウォーターと梅干しを加えてミキサーに。その後、隠し味にコニャックを加えるのがポイント。

  • 上記をミキサーにかけた後、液状のものをひと口。「おー! すごい! 不思議な感覚だけど、ちゃんとキュウリの風味は残ってる! なんだこれは!」と角田さん。

  • バジルを利かせたアンズのアイスとハラペーニョ液に浸けた刻んだキュウリのピクルスを中に忍ばせ、食感のアクセントに。

  • 中央のキッチンには、フランス料理店には似つかわしくないかき氷製造機が! 「不思議な光景ですね(笑)」と角田さん。更にその奥には、提灯が。店内に施された様々な遊び心にも生井シェフのセンスが垣間見える。

まるで苔庭のようなかき氷の表面にコリアンダーの花を丁寧に配し、料理を仕上げる生井シェフ。それを覗いていた角田さんは、カウンターから身を乗り出して「なんて綺麗なんでしょう!」とうっとりする姿も。

まずはそのままスプーンで一口食べる。気持ちのいい冷たさとしゃくしゃくした感触が口に広がり、それからトマトの旨味やごま油のコクが、時間差で口に広がる。シャンパーニュを続けて飲むと、ふわっと味と香りが広がる。ハーブを散らして更に食べる。ガスパチョの下に何か隠れていて、味覚も食感も香りも変わる。
ハラペーニョとレモンのジュースでマリネしたキュウリとタマネギ、それからアンズのアイスがガスパチョの中に入っているという。それらに加えて、三種のハーブのどの部分(花か葉か)とガスパチョを食べるかで、ひと皿の味も食感も香りもくるくると変わっていく。更に、ガスパチョと一緒に口に含むようにしてシャンパーニュを飲むと、ふくよかさが倍増していく。無数の扉が次々と開かれていく感じ。

「何かドキドキします……」と、目の前に供された料理にやや緊張!?する角田さん。まるで観察するかのような眼差し。「僕も緊張してきた……(笑)」と生井シェフ。

  • 「ガスパチョを口に含んだ後、ぜひ追いかけるように“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン”を召し上がってください」という生井シェフのアドバイスのとおり、口にグラスを運ぶ角田さん。「味だけでなく、香りも複雑に混ざり合い、口の中が心地よいです」と角田さんは話す。

  • 添えられたハーブは、好みに応じて自分で摘み、料理に合わせていく。「この作業もまた楽しい!」と角田さん。

  • 「料理の味、食感、ペアリング、今まで経験したことのない提案をしたかった」と生井シェフ。「それぞれ単体でも美味しいですが、色々な組み合わせ次第でどんどん変化していくのが楽しい。どう食べるか、どれから口に含むかで全く表情が変わります!」と角田さん。

  • 料理を食した後、記憶が鮮明なうちにメモを取る。「口内に残る余韻だけでも “コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン”を楽しめます」と角田さん。 料理を食した後、記憶が鮮明なうちにメモを取る。「口内に残る余韻だけでも “コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン”を楽しめます」と角田さん。

もともと音楽をやっていた生井さんが料理の世界に入ったのは25歳の時だという。レストラン「オード」を開いたのは3年前。この仕事で、生井さんが一番魅力を感じるのはどんなところかと訊いてみると、「スタッフみんなで準備し、下ごしらえしたものを、お客様のタイミングに合わせて、わっと組み立てていくこと」という答え。下ごしらえの段階では、なんの脈絡もなかった素材が様々に組み合わさってひとつの料理になる。とはいえ、シェフの気まぐれで、下ごしらえしていたものをぜんぶなしにして、急にあらたな調理を始めることもあるのだという。そうした変更の余地も少しは残しつつ、緊張感を持って準備から始めていく、それが面白いのだと生井さんは話す。
そして常に心に留めているのは「お客様に対して真正面を向いて料理を出しているか」ということ。「オード」で提供しているのはおまかせのコース料理だけれど、生井さんをはじめスタッフは、常にお客さんの反応を見て、ちょっとした会話のやりとりなどから、受け取れる範囲の情報を得て、一人ひとりへのカスタマイズをしているのだというから、びっくりしてしまう。

  • 「氷に含まれる梅と忍ばせたアンズ。どちらも酸っぱい要素があるのですが、それぞれリズム良くその存在を覗かせるので、その変化が味わえます。どんな味の奥行きにも合う“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン”もまたすごい」と角田さん。

  • 「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン”に合わせる料理は、常温か冷たい前菜、もしくは温かい料理だと思います。今回のように“氷”とのペアリングは、なかなか見ないのではないでしょうか。その振り切ったところで勝負したかった。口の中で泡が弾ける時、氷の粒子がそれに反応し、双方のボリュームが増すところが今回の特徴だと思います」と生井シェフ。「後はライヴ感が大切!」と言葉を続ける。

生井さんの話を聞いていたら、以前対談をさせて頂いたミュージシャンの話を思い出した。ライヴの日のために、私にすればおそろしいほどのストイックな準備をし、その日のためだけのテンションを作り上げていって、当日、ライヴが始まる。客席の反応を見ながら歌いかたや曲調の微細なところを、バンドメンバーとコンタクトをしつつ変えていく、とそのミュージシャンは話していた。それはそのまま生井さんの料理スタイルと重なると思ったのだ。
その日その瞬間の、最善を尽くす。不変の完璧を目指すのではなくて、対する人の、その日その瞬間の様子も見ながら臨機応変に、変化させていく。まさに生井さんが日々繰り広げているのは、食の世界のライヴなのだ。幾度も足を運んでも、きっとその日その瞬間だけの感動が、ここ「オード」にはあるのだろう。

「料理の話はもちろん、音楽の話まで、色々お話しできて楽しかったです」と角田さん。「話しすぎちゃったかな(笑)」と生井シェフ。会話に弾みをつけたのは、「これもまた“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン”の力ですね」とふたり。

ガスパチョとテタンジェ。

広尾「オード」の生井シェフによる「冷静ガスパチョ」。
凍らせたスープをかき氷のようにして皿を覆い、
ハーブを自ら摘んでとともにいただく。
ひとくち含むと氷の感触が口に広がり、
トマトのうまみやごま油のコクが時間差でやってくる。
そこに追いかけるように
「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」を。
すると口の中で泡が弾け、氷の粒子がそれに反応し、
双方の香りや食感がさらに膨らんでいく。
単体でも魅力的だが、組み合わせると新たな旋律が生まれる。
食べ終えた後、様々な楽器が響き合うライブを
聴き終えたような、心地よい余韻が残った。

オード

角田 光代

1967年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学第一文学部卒業。90年「幸福な遊戯」で第9回海燕新人文学賞を受賞し、デビュー。96年「まどろむ夜のUFO」で第18回野間文芸新人賞、98年「ぼくはきみのおにいさん」で第13回坪田譲治文学賞、「キッドナップ・ツアー」で99年第46回産経児童出版文学賞フジテレビ賞、2000年第22回路傍の石文学賞、03年「空中庭園」で第3回婦人公論文芸賞、05年「対岸の彼女」で第132回直木賞。06年「ロック母」で第32回川端康成文学賞、07年「八日目の蝉」で第2回中央公論文芸賞、11年「ツリーハウス」で第22回伊藤整文学賞、12年「紙の月」で第25回柴田錬三郎賞を受賞、「かなたの子」で泉鏡花文学賞受賞。14年「私の中の彼女」で河合隼雄物語賞を受賞。