「一口目」のミラクルストーリー VOL.3
~「アーバンファーマーズクラブ」代表理事 小倉崇~
取材・撮影 YOMIURI BRAND STUDIO
「天空の畑」ここは渋谷のビル屋上
「渋谷の農家」?「砂漠の海」みたいな、なじまない組み合わせだ。しかも、ギリギリ渋谷区、などという場所ではない。JR恵比寿駅から歩いて5分。大都会のど真ん中で農業をやっているという。ホントだろうか。
恵比寿駅から、高層ビルが立ち並ぶにぎやかな通りを抜けていく。畑があるというオフィスビルに到着。農地のにおいは全くしない。エレベーターで7階まで行き、そこからは階段で屋上へ。ホントだった。恵比寿駅周辺のビル街を見下ろす気持ちのいい場所に、ホウレン草、春菊、小松菜、エンドウ豆、ソラマメ、キャベツ、スナップエンドウ、ニンニク、イチゴ……。土を盛った大きなプランターが並び、そこに様々な野菜や果物が植えられていた。「砂漠の海」は蜃気楼の例えだが、これも蜃気楼みたいに思えたと言ったら、ちょっと言いすぎか。
紺の作業着を着て、白い花の咲いたスナップエンドウのつるをハサミでチョキチョキと切っているメガネの人が、「渋谷の農家」、小倉崇さん(51)。編集者で、農家で、NPO法人「アーバンファーマーズクラブ」の代表理事だ。余計なつるを刈って養分を集中させる「整枝(せいし)」の作業中という。スナップエンドウの小さな実がひとつだけなっているのを見つけては、そのかわいらしさに「ハハハハハ」と笑い、ニンニクの葉を切ってムシャムシャ食べては、おいしさにニンマリとしていた。
3.11の東京 食べ物が姿を消した
無論、ここは渋谷区だが、どちらかというと「恵比寿の農家」の方がふさわしいと思われるかもしれない。「渋谷の農家」と呼ばれるのは、渋谷の道玄坂にあるライブハウス「TSUTAYA O EAST」の屋上に畑を作ったのが、都会で作物を育てる「アーバンファーム」の最初だったからだ。「TSUTAYA O EAST」は改装のため屋上が使えなくなり、17年11月に畑を撤収したが、現在、NPO法人では原宿、渋谷で1か所ずつ、恵比寿で2か所の計4か所の畑を管理している。ここは屋上だが、他の3か所は地面にプランターを置いているという。
出版社で女性週刊誌やファッション誌の編集、そしてフリーとして機内誌などの編集、執筆を手がけてきた小倉さんは、なぜ、「渋谷の農家」となったのか。きっかけは、2011年3月11日。東日本大震災だった。
発生して4日目くらい。世田谷にいた小倉さんは、食べ物を買おうとスーパーやコンビニを回った。だが、何も買えなかった。ふだんはあふれかえっていたパンも、コメも、肉も、きれいに姿を消していた。がらんとした店内を見て、恐怖を覚えたという。「東京は物資が止まったら終わりじゃないか。自分で農業をやっていたら、食べることだけは、何とかなるのではないか」。
出会った野菜は自然栽培 別格のうまさ
そんなとき、神奈川県の相模原市で自然栽培を実践する青年と出会う。自然栽培とは、農薬や化学肥料を使わない有機農業の中でも、堆肥すら使わず、土の力だけで作物を育てるやり方だ。彼が作っているホウレン草を食べて、小倉さんは衝撃を受ける。畑に生えているものを、生のまま口にしたのだが、葉は観葉植物のように肉厚で、かじるとじわーっと甘みが染み出してきた。これまでスーパーで買って食べていた、苦みとえぐみしか感じられないモノとは、まるで違った。
当時、仕事で全国の有機農家を取材していた小倉さんは、相模原市の青年の畑へ通い始める。東京から車を飛ばし、週に2回ほど、青年の畑で農作業をした。「肉体的には重労働というほどではなく、ジムでちょっとハードな運動をするくらいです。土に触っていると、ホワーっとした幸福感がありました。仕事ってなかなか結果が出ないけど、畑仕事というのは、後ろを振り返ると自分が植えてきた野菜の列が見える。すぐに達成感も味わえるし、本当に楽しかった」。
“週末農家”の呼びかけに200人
2014年。小倉さんは、友人、そして相模原市の青年と、3人で「weekend farmers」というユニットを始めた。都会の人に週末だけ農業を体験してもらい、そこでできた野菜を食べてもらう。「体験農業」を通じて、青年の野菜の素晴らしさを知ってもらうのが目的だった。SNSなどを通じて呼びかけると、友人や、友人の友人たちが集まってきた。そんな中から、「渋谷でもweekend farmersで、何かやりませんか」と声がかかった。ライブハウスを運営する会社の人だった。ライブハウスの屋上で農業ができれば面白いかも、と小倉さんが言ったときは、思いつきのようなものだったという。だが、話はどんどん進んだ。15年8月。「TSUTAYA O EAST」の屋上に、畑ができた。「渋谷の農家」の誕生だ。ルッコラや水菜、サニーレタス、ニンジンなどを自然栽培で育てた。収穫祭などのイベントを開くたびに、地元の商店街やレストランのシェフ、クリエーターら、200人ほどが集まった。
2020に2020の「都会の畑」を!
18年6月にはNPO法人「アーバンファーマーズクラブ」が発足。小倉さんは代表理事となった。約250人の市民ファーマーたちが、チームに分かれて、東京都内4か所の畑を世話している。野菜がどうやって育つのか、子供に見せてあげたいという家族連れ。リタイヤして時間があるお年寄り。土いじりでストレスを解消したい会社勤めの女性たち。一人で参加している女子高生もいる。クラブの目的は、プランターひとつの小さな畑でもいいから、都会に畑を増やすこと。小倉さんの夢は、2020年までに、2020か所のアーバンファームを作ることだ。
炎天下の土運び 生涯最高の一口
そんな小倉さんには、忘れられない「一口目」がある。初めて「渋谷の農家」としてライブハウスの屋上に畑を作った日。プランターに盛る土を、相模原市の青年の畑から運んだ。土のうに入れて運んだ土は、全部で8トン。5階まではエレベーター。そこから屋上までは階段だった。夏の盛りで、気温は35度。屋上はもっと暑くて、40度を超えていた。汗だくになりながら、午前中から午後3時くらいまで延々と土を運び続けた。「とにかく辛かったです。でも、やらなきゃならなかった」。必死ですべての土を運び終えて、青年と2人でビールを飲んだ。「その時の一口目は、生涯最高の味でした。今もあれを超える一口目はありません。渋谷には仕事の事務所があったんですけど、自分の街という気持ちはなかった。それが、土を運んで、自分たちの居場所を作って、はじめてこの街の住人になったと思いました。『渋谷の農家』になったという気持ちが、より一口目を美味しく感じさせたんでしょうね」。
「麦」も「ホップ」も、土から生まれる。「麦とホップ」が目指す最高の一口目も、土がもたらす恵みであることに、違いはない。
イラスト:星野ちいこ