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  • 2020.04.14New
    サイトをリニューアルしました。
  • サッポロビールの原点は、1870年代、北海道の開拓から始まる。北海道で産業を起こす。その一つが、ビールづくりであった。そのとき、同時にホップづくりもはじまった。そもそも、日本ではじめて発見された野生ホップは北海道岩内町である。
  • 札幌にホップ園、上富良野にホップの乾燥所を設ける。そうして、自社で作ったホップで、ビールをつくる歴史が生まれた。その取り組みは、世界のホップ農家との協働契約栽培という形で、今なお、続いている。
  • ホップはビールの特徴を決める。ホップの違いで、香り、苦味、味わいの個性が生まれる。そのホップへの魅力を高め、ホップで、ビールを選ぶ、そんなビールの愉しみ方を皆に知ってもらいたい。
  • ホップの可能性を信じる。それが、私たちのホップへのプライド。

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THE STORY SORACHI1984 Innovative Brewer

The Story SORACHI1984 01 伝説前夜 1984年 ソラチエースの誕生

ソラチエースは、北海道空知郡にあるサッポロビール原料センターで生まれました。コードネームは75K-B6-5。当初から独特の強い香りが特徴で、大切に育種され、1984年9月5日に品種登録を果たします。それはサッポロビールが手がけたホップの初めての登録でした。そのとき、品種登録までを手がけたのが、元サッポロビール北海道原料センター研究員の荒井康則でした。


荒井康則 元サッポロビール株式会社 バイオ研究開発部 北海道原料研究センター 研究員 ホップ一筋の40年以上のキャリアの中で、1974年にサッポロビールに入社したばかりの若干20歳のときに出会ったのがソラチエース。1984年に品種登録されるまで大切に育種に励みました。2018年に退職を迎えた彼の会社人生は、まさにソラチエースで始まり、ソラチエースで終わったのです。

Side Story

荒井はホップのスペシャリスト。自分のことをホップ屋と呼びます。ソラチエースの品種登録を果たした後は、長きに渡って、中国でホップ栽培を手がけることになります。単身、中国のウイグルという奥地で、ホップ栽培のノウハウを教え、産業として定着する一助を果たしました。今や、中国は世界第3位のホップ大国。間違いなく荒井の努力は遠い大陸でも花咲いています。

The Story SORACHI1984 02 伝説の兆し 1994年 ソラチエースの苦難と展望

ソラチエースは、品種登録を果たしたものの、それがすぐにビールになったわけではありません。独特の強すぎる香りは、当時の日本のビール事情には合いませんでした。しかし、そこで廃棄されることなく大切に受け継がれます。そこに新たな動きがありました。ソラチエースをアメリカのオレゴン州立大学に持ち込んだのです。もともとソラチエースは苦味もありながら、強い香りを持つという高苦味アロマホップという世界の最先端をいくホップでした。当時のアメリカはクラフトビールブーム。遠くアメリカで花開く期待を込められ、アメリカに持ち込んだのは、サッポロビール北海道原料センターの糸賀裕でした。


糸賀 裕 サッポロビール株式会社 バイオ研究開発部 北海道原料研究センター 上級研究員 ソラチエースの強烈な個性に可能性を感じていたサッポロビールのホップ研究員である糸賀裕。彼はソラチエースを、アメリカオレゴン州立大学に持ち込みます。それは日本産の特別なホップをアメリカに持っていくことで、アメリカ産のホップを譲り受けるという交換の域を超えたものではありません。しかし、糸賀がこの時、アメリカに渡らなければ、ソラチエースの今は無かったのです。

Side Story

糸賀はホップとビールを救った人です。大げさでなく。ホップの大産地で、質の良いホップで知られるチェコのザーツ地方。そのホップが1970年代に品質が低下してゆきます。その原因はウイルス。そこで糸賀がチェコに赴き、ウイルスフリーの苗を作出します。このことにより、ザーツのホップは元の品質を取り戻せたのです。

The Story SORACHI1984 03 伝説への転機 2002年 ソラチエースが見出される

アメリカに渡ったソラチエースですが、すぐに注目されたわけではありません。渡米から8年後、そこには、衝撃的な出会いがありました。ワシントン州ヤキマ地方でホップ農場を営むダレンガメシュ氏に見出されたのです。彼はソラチエースを高く評価し、各地のブルワリーに紹介してゆきます。それが「完成度が1ランク上がる」「違い」を作るホップとして評判になります。あっという間に注目の的になったソラチエース。日本で生まれたホップが、世界のホップになった瞬間です。


ダレンガメシュ バージル ガメシュファームズ ホップ農家マネージャー アメリカのクラフトビールにおけるフレーバーホップの考え方を変え、クラフトビールブームの影の演出者と呼ばれるワシントン州ヤキマ地方でホップ農場を営むダレンガメシュ氏。2002年、彼はこんな言葉を残しています。「農場の中でその香りを嗅いだ瞬間、今まで感じたものとは全く異なる感覚に驚き、文字通りその場に縛り付けられたかのように一歩も動けなかった。それほど衝撃的な香りであった。」ソラチエースに転機が訪れた瞬間です。

Side Story

ガメシュ家は、1913年から農場を営み、禁酒法の終わりに近づいた1932年、ホップの栽培を始めました。長い歴史を持つヴァージルガメシュ農場は、1997年、まったく新しいAmarillo®という香り豊かなホップの発見をきっかけに、当時のクラフトビール業界の発展の中で大きく飛躍しました。今や100周年を迎えた彼らの歴史の1ページの中に、ソラチエースもまた大きなトピックスとして刻まれてゆくのでしょう。

The Story SORACHI1984 04 伝説は未来へ 2019年 SORACHI1984 誕生

今や世界で注目されるソラチエース。その生みの親であるサッポロビールが満を持して開発した「SORACHI1984」。日本から、アメリカへ、そこで花開いて世界に認められたソラチエースが、誕生から35年を経て、ここ日本で新しい商品として登場します。そのビールを生み出したのが、サッポロビールクラフト事業部ブリューイングデザイナーの新井健司です。


新井健司  サッポロビール株式会社 クラフト事業部 ブリューイングデザイナー 「ソラチエース」を使ったビールを、どうしても、日本でつくりたかったというブリューイングデザイナーの新井健司。収穫量が極端に少ない日本産のオリジナル「ソラチエース」も一部ブレンドして、独自のドライホッピングによって、ソラチエースの特徴的なヒノキのような香りを最大限に引き出しながら、注意深く、ビールの形をデザインしました。そうして生まれたのが、「SORACHI1984」。ソラチエースの個性を存分に楽しめる、「凛として、香り立つ」ゴールデンエールです

Side Story

もともとは、酵母の研究からスタートした新井。工場での醸造担当などを経験したのち、サッポロビールから醸造家の勉強をするためにドイツに留学していました。2013-2014年のことです。その時、周りの醸造家から散々言われたのは、サッポロビールの「ソラチエース」はすごいホップだなあという言葉。その時新井は、「ソラチエーもともとは、酵母の研究からスタートした新井。工場での醸造担当などを経験したのち、サッポロビールから醸造家の勉強をするためにドイツに留学していました。2013-2014年のことです。その時、周りの醸造家から散々言われたのは、サッポロビールの「ソラチエース」はすごいホップだなあという言葉。その時新井は、「ソラチエース」のことを恥ずかしながら知りませんでした、と語ります。海外ではメジャーだけど、日本では全く無名の存在…それを体感した瞬間、「多くの日本人にソラチエースを伝え、気軽に飲めるような状況を作らなくてはならない」、と心に決めた、と語ります。SORACHI1984の着想は、5年も前から動き出していたのです。

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  • サッポロビールの原点は、1870年代、北海道の開拓から始まる。北海道で産業を起こす。その一つが、ビールづくりであった。そのとき、同時にホップづくりもはじまった。そもそも、日本ではじめて発見された野生ホップは北海道岩内町である。
  • 札幌にホップ園、上富良野にホップの乾燥所を設ける。そうして、自社で作ったホップで、ビールをつくる歴史が生まれた。その取り組みは、世界のホップ農家との協働契約栽培という形で、今なお、続いている。
  • ホップはビールの特徴を決める。ホップの違いで、香り、苦味、味わいの個性が生まれる。そのホップへの魅力を高め、ホップで、ビールを選ぶ、そんなビールの愉しみ方を皆に知ってもらいたい。
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