日本初のビヤホール
1899(明治32)年8月、「恵比寿ビール BEER HALL」が現在の東京・銀座8丁目にオープン。これが日本初のビヤホールです。日本麦酒の社長 馬越恭平のアイデアで誕生したビヤホールは、恵比寿ビールの宣伝が主目的でした。工場直送の出来立て生ビールを味わってもらい、そのよさを知ってもらうためだったのです。 日本初の新型店の名前選びには、英語に詳しい日本人や外国人の知恵を借りました。宣教師の意見で「ビヤサロン」と一旦は決定します。しかし、あるイギリス人から「その宣教師は上品なサロンをイメージしているようだが、横浜あたりではサロンといえばいかがわしい場所。店名には相応しくないので、ホールのほうがよい」とのことで「ビヤホール」に決まりました。
“ビール専売居酒屋”大人気
恵比寿ビヤホールは僅か40坪ほどの店舗でしたが、店内はこれまでの居酒屋とは異なり、入口左側にカウンターを設け、ニッケル製のスタンドを設置。床はリノリューム張りと当時としては斬新な装いでした。店内をデザインしたのは、明治期を代表する近代建築の第一人者 妻木頼黄です。 ビールはガラス製ジョッキ半リットルで10銭。初日225リットル、2日目245リットル、3日目450リットルを売る好調さでした。評判を聞きつけ遠方からのお客も多く、新物好きの江戸っ子には好評だったようです。開店1週間もたつと1日1,000リットルも売れる日もあり、宣伝目的のビヤホールは、売上げも好調で商売にもなるという一石二鳥の成果がありました。ただ、お客の不満が一つありました。最初のつまみは西洋に倣いスライスした大根だけだったのです。ラディッシュのつもりでしたが、これがすこぶる不評でした。その後、蕗や海老の佃煮にしたところ、大いに受けたといいます。