Loading...

当コンテンツは 
BGMが流れます。
音声をONにしてお楽しみください。

FILE:07 1985年の年伝説 奇跡を生んだ銀のサッポロ

奇跡。

それは、
常識で考えて起こるはずのないもの。

奇跡の瞬間、
奇跡の風景、
奇跡の人物

我々の想像を遥かに超える出来事や現象の数々。
あなたは実際に、
そんな「奇跡」を目撃したことがあるだろうか。

そして、ご存知だろうか?

サッポロビールにも、

まさに「奇跡」と呼ぶに
ふさわしいビールが
存在するということを…

そのウワサの真相を探るべく、
話は1984年まで遡る。

この年の3月、サッポロビールから
ひとつのビールが誕生した。

その名も、

「サッポロカップ<生>」

そしてこのビールこそが
後にサッポロビールに
「奇跡」を起こすこととなるのだ

まず注目すべきは

「シルバーのデザイン」

シルバーに輝く曲面形カップの缶容器は、
当時の既存の缶ビール製品としては
個性的な存在だった。

さらに、

「650mlのビッグサイズ」

ビールの大瓶が633mlと考えると、
650mlサイズの缶ビールは異質そのものだった。

しかし、そのデザインが話題となった反面、
ほぼ大瓶1本分のビールは缶で飲むには量が多く、
さらに泡がない状態で飲みきらないといけないため、
その売れ行きはイマイチだったという。

そしてついには、

大量の在庫を抱える事態にまで
発展したのである…

それではなぜ、そんなサッポロカップ<生>が
「奇跡」と称されるようになったのか。

あなたには、
この真相がおわかりだろうか…?

真相-Truth-

サッポロカップ<生>が
「奇跡のビール」と称される理由。

そこには、当時のサッポロビールの、
ある戦略が深くかかわっているのである。

それは、

「サッポロビールの海外展開」

1980年、サッポロビールは
企業のさらなる拡大を目指し、
新たに海外事業に着手していた。
サッポロビールならではのビールのうまさを、
世界に広げようとしていたのだ。

当時、こんなエピソードがあったという。

この年の秋、
サッポロビールはロサンゼルスの寿司バーから
「サッポロ小瓶(熱処理)」の注文を受けた際、
何を勘違いしたのか、
「サッポロびん生の大瓶」を
誤って配達してしまったというのだ。

だがその結果、

予想を反する、ある出来事が起きた。

「こんなビッグサイズのビールは見たことない!」と、
現地で話題となったのだ。
この珍事から、サッポロビールは考えた。

「形の違う容器が海外では
人気になるのではないか…」

そして1984年10月、
サッポロビールはひとつの賭けに出る。

そう、その特異なデザインを活かして、
サッポロカップ<生>の海外販売を決断したのだ。

そしてそれは
サッポロビールの狙い通りとなった。

なんと、
日本では売れなかったサッポロカップ<生>は
そのオリエンタルなデザインが「クール」と評価され
「シルバーサッポロ」という愛称で呼ばれるほどに、

北米で大ヒットしたのだ。

そして1985年、サッポロビールはついに、
念願であったアメリカでの

日本製ビールシェア
第1位の座を獲得。

あれから長い月日がたったいまも、
サッポロカップ<生>は
海外で愛され続けているのである…

いかがだっただろうか?

それ以降、サッポロビールは
アメリカで一番売れている日本のビールとして、

30年以上もの間、
首位の座を守り続けている。

日本では不人気に終わった
サッポロカップ<生>が
世界に名を轟かせた、
まさに「奇跡」と呼ぶに
ふさわしい話なのであった…

いまも海外で愛される
「サッポロカップ<生>」。
あなたがいま飲んでいるビールも、
いつか世界を魅了する日が
来るかもしれない

※アンケートにお答えいただくと、サッポロWebサイト会員への
ご登録をいただく事となりますのでご了承ください。

1985年の年伝説奇跡を生んだ銀のサッポロ
完-End-
出典:『ぷはっとうまい 日本のビール面白ヒストリー
大日本麦酒の誕生』 端田晶 著
OTHER FILES