HARUNO KEIKO 節と啖呵と三味線で物語にグイグイ引き込んでいくパワフルさ。それが浪曲の魅力であり、浪曲に出合ったことで、ようやく自分の人生が始まったんです。

07 HARUNO KEIKO 浪曲師 春野 恵子


はるの けいこ
東京大学を卒業後、バラエティ番組『進ぬ!電波少年』のケイコ先生として人気を博した後、関西浪曲界の大御所二代目春野百合子に弟子入り。2006年の初舞台以降、独自の発想で、浪曲復興のために精力的に活動。


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浪曲を広めるため、新しい試みにも果敢にチャレンジ。
そして、海外公演も実現。


浪曲師デビューから10年経ち、現在は年間200回もの公演を開催。その間には寄席やホール以外にもライブハウスやカフェで公演を行ったり、若手会を開催したりと、新しい試みにも精力的に取り組んでいらっしゃいますね。

春野 浪曲の世界はお客様が初舞台から長い時間をかけて演者の成長を見守るように応援してくださるんです。その期待を裏切ってはいけないという思いから、10年間は腰を据えて浪曲をしっかり勉強しようと取り組んできました。そうするうちに、浪曲界の現状が見えてきて…。浪曲が今ではマイナーになってしまった理由は、目にしたり聞いたりする機会がないから。今まで見たことがない人や幅広い世代に聞いてもらうために思いつく限りのことをしたという感じです。

そして、2014年にはNY公演を実現。そのきっかけは何だったんですか?

春野 私は4~6歳までアメリカのテキサス州ダラスに住んでいて、帰国した時は英語しか話せなかったんです。初めて自分がきちんと話せた言葉で表現することに興味があったことから、2013年に『英語で上方伝統芸能ナイト』というイベントに出演し、初めて全編英語の浪曲を公演させてもらいました。その時に外国のお客様から「面白かった」「ぜひ違う演目も聞いてみたい」というお言葉をいただいて、その反応のよさもあって、つい弾みで「次はNYで公演します」って言っちゃったんですよ(笑)。

しかも、公演資金はクラウドファンディングで募ったとか。

春野 クラウドファンディングにしたのは、自分だけのプロジェクトだけでなく、浪曲を海外に広げる第一歩にあたって、たくさんの人に背中を押してもらって行けたら素敵だな、と思ったことから。本来、人と関わるのが苦手で、でも、クラウドファンディングを実現させるためには、いろんな人の力を借りないといけない。しかも、万が一失敗した場合は大勢の方に迷惑をかけることになるし、すごいプレッシャーで夜も眠れない思いでした。
ありがたいことに当初の目標額より上回る支援をしていただいたことで、NYだけじゃなく、ドイツや中国でも公演できました。本当にね、ありがたいことです。けれど、それは「一回NYで公演をしました」という思い出が作りたかったんじゃなく、一つ一つの舞台を積み重ねて、見てくださった人を繋げて広げていくことが本来の目的なので、それ以降も毎年、海外での公演を続けています。そうすることが最初に私にチャンスをくださったみなさんへの恩返しだと思っています。

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大阪に帰ってくると、ホッとする。
大阪は私の出発点であり、心の拠り所。


浪曲師になるという夢を持って大阪にやってきて10年が過ぎました。春野さんにとって大阪は今ではどんな存在ですか?

春野 親戚も友達もいない大阪に師匠だけを頼りにやってきて、まさか自分が大阪に住むことになるとは思っていませんでした。最初の頃は東京と勝手が違って、いろいろ戸惑うことも多かったんですが、最近は大阪の友達が増えてきたんで、東京の人の話はオチがないなーなんてと思うことも(笑)。今では大阪に帰ってくるとね、ホッとするんですよ。やっと自分の人生が始まったと思えたのは大阪に来たからであって、ここが私の出発点であり、心の拠り所でもあるからでしょうね。また、大阪はいろんな芸能が生まれた場所なので、その地に足を踏みしめて暮らしているだけで、地面からパワーを吸収しているように感じています。

2012年には「咲くやこの花賞」(※1)を受賞されるなど、今後の活躍もますます楽しみですが、これから浪曲師・春野恵子が目指すところは何でしょうか?

春野 私の性格は猪突猛進と言いますか、本当に無計画なんですよ。その日のことしか考えてないから、夜寝る時に明日の仕事も分かってないという(笑)。でも今はそれを少し反省して、私の限られた人生の中で浪曲のためにできることをしっかりと考えていかなくてはいけないじゃないかと思っています。一生修行して自分の芸を磨くことはもちろん、春野家のネタを伝えていくことや、弟子がおらず途絶えている一門のネタを掘り起こすことも大事かもしれない。
また、自分の実力はさておき、浪曲師のすごさや浪曲のよさを知ってもらうために自分が他ジャンルに飛び出してアピールしなきゃとも勝手に責任を感じています(笑)。ケイコ先生の時は自分が何者かも分からず、どこに行っても不安だったんですよ。でも、今はどんな場であっても、海外で公演しても、「私は浪曲師です」と胸を張って言える。それは本当にありがたいことだなあと思っています。

※1=創造的な芸術活動を通じて大阪文化の振興に貢献し、かつ将来の大阪文化を担うべき人材に対し、大阪市が昭和58年より進呈している賞。

国立文楽劇場

大阪府大阪市中央区日本橋1-12-10
TEL:06-6212-2531
営業時間・定休日は公演により異なる
http://www.ntj.jac.go.jp/bunraku.html

1984(昭和59)年に上方芸能の保存・継承を目的として開館。大小2つの劇場があり、大ホールでは大阪生まれの芸能である人形浄瑠璃文楽をはじめ、舞踊や邦楽、大衆芸能など様々な公演を上演する。また、毎年1回、同劇場では「浪曲名人会」を開催。

【取材協力】

日本橋ビアホール

大阪府大阪市中央区日本橋1-20-8 日本橋井川ビル1F
TEL: 06-6649-0254

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