HARUNO KEIKO 節と啖呵と三味線で物語にグイグイ引き込んでいくパワフルさ。それが浪曲の魅力であり、浪曲に出合ったことで、ようやく自分の人生が始まったんです。

07 HARUNO KEIKO 浪曲師 春野 恵子


はるの けいこ
東京大学を卒業後、バラエティ番組『進ぬ!電波少年』のケイコ先生として人気を博した後、関西浪曲界の大御所二代目春野百合子に弟子入り。2006年の初舞台以降、独自の発想で、浪曲復興のために精力的に活動。


 バラエティ番組のケイコ先生で一躍人気者になり、ドラマやCMなどで活躍するも、心機一転し、上方浪曲の世界へ単身で飛び込んだ春野恵子さん。現在は人気浪曲師として年間200回もの公演を行い、国内だけでなく海外でも浪曲の魅力を伝えようと精力的に活動する春野さんに、人生を変えた浪曲との出合いから大阪への熱い思い、そして、浪曲師となった今、彼女が目指す未来について伺った。

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浪曲はまさに和製ミュージカル!
歌と芝居が好きで芸能界を目指した私が魅かれたのは自然な流れだった


かつて人気テレビ番組に出演し、東大卒の家庭教師「ケイコ先生」としてブレイクした後、女優として活躍されていた春野さんが、浪曲師に転身されたと聞いた時は本当に驚きました。

春野 『進ぬ!電波少年』でのデビュー後、一気に自分の名前が全国区になり、ドラマや司会などで忙しい日々を過ごしていました。けれど正直、「ケイコ先生」という存在に自分の人生を乗っ取られているような気もしていたんですよ。いい経験をさせていただいたという感謝の気持ちはもちろんあります。けれど、自分の立ち位置にずっと違和感があって…。年齢も20代後半になり、同級生たちは就職してキャリアを積み重ねているのに対し、私自身は周りから見ればテレビに出て華やかに見えていたかもしれませんが、「早く自分が一生をかけてやるものを見つけたい」という焦りしかありませんでした。なんでそこまで自分を追いつめていたのか分からないけれど、常に赤信号が灯ってましたね(笑)。

そんな時に出合ったのが浪曲だったんですね。

春野 お仕事をご一緒させていただいた春風亭昇太師匠の落語を見に行ったことがきっかけで、落語や講談のおもしろさに開眼して見に通うようになったんです。身一つだけで聞いている人の頭の中に映像を作り上げてしまう話芸に本当に感動したんですよ。そして、たまたま講談目当てで訪れた舞台で浪曲に出合ったんです。

それにしてもなぜ浪曲師だったんですか?

春野 実は私が芸能界に憧れたきっかけというのが、母のミュージカル好きに影響されて歌やお芝居が大好きだったことから。また、祖父や祖母が時代劇や相撲をよくテレビで見ていたんで、「いつか大好きな“暴れん坊将軍”に出演したい!」という夢を持つ、周りの友だちとは少し価値観の違う子どもだったんです(笑)。そういう要素があったんで、浪曲を初めて見た時に「浪曲はまるでミュージカルと時代劇を足して二で割った“和製ミュージカル”のよう!これなら私がやりたいと思っていたことがすべて叶う!」と思ったんですよ(笑)。ドラマはそれが終わればその役とはさよならですが、演芸なら一つの演目を長い時間をかけてブラッシュアップすることができる。じっくりと自分の実力を積み重ねてキャリアを歩みたいと考えていたし、しかも、歌と芝居が大好きで芸能界を目指した私が浪曲に魅かれたのは自然な流れでした。

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浪曲に出合って、ようやく自分の人生が始まった


浪曲師と聞くと、「旅行けば〜♪」という有名な節は思い浮かぶものの、実際に見たことのある方は少ないかと思われます。春野さんが魅了された浪曲の魅力をぜひ教えてください。

春野 まずは歴史からご説明すると、浪曲は江戸時代後期から明治前半に始まり、大正から昭和の中頃にかけて全盛期を迎えました。かつては浪曲専門の演芸小屋が何十カ所もあり、長者番付のトップに浪曲師が名を連ねるほど盛んだったんですよ。浪曲は三味線伴奏で歌う「節」とセリフを語る「啖呵」で構成され、音楽の要素も強い演芸です。浪曲師と曲師(三味線担当)が舞台で繰り広げるやりとりは、ジャズセッションのようとも言われ、節と啖呵と三味線でぐいぐいと物語に引き込むパワフルさが魅力です。お話も任侠ものや人情もの、男女の情愛を描いたものがあり、老若男女楽しんでいただけるエンターテインメントなんですよ!

なるほど。その浪曲に魅了され、春野さんは浪曲界の重鎮だった二代目春野百合子さんの門を叩いたそうですが、それまでとは環境がガラリと変わったのでは?

春野 最初は師匠からも「よっぽどの覚悟がないと続かない。あきらめなさい」と反対されましたが、「浪曲がなければ私の人生はないんです!」と食い下がり、お稽古をしていただけるようになりました。そして半年後にはボウズ頭にして持てるだけの荷物を持って来阪。その日のうちにウィークリーマンションを決めました。最寒期の1月、しかもすきま風が入る部屋だったんで、すごく寒いんですよ。頭から毛布をかぶって師匠のテープを聞いて稽古をするという毎日だったんですが、それがめっちゃ幸せでした(笑)。それまでの私は自分の実力というより番組の力で売れてしまっただけで、埋めなきゃいけない部分がたくさんあるのではと常に焦って戸惑っていました。修行して一歩一歩実力を積み重ねていくことによって、誰にも奪われない実力を付けることの必要性と重要さを肌身に感じていたので、修行期間が苦になるというより、逆に居心地よく感じたんでしょう。

初舞台を踏んだのが2006年と、弟子入りしてから2年半もかかったのは何か理由があったんですか?

春野 かつてテレビに出ていた人間が、「浪曲師になりました」といってメディアに取り上げられたとしても、実力がなければ一過性の話題で終わってしまう。私にとって浪曲師になることは話題作りのためじゃなく、一生を懸けたものだったので、そうならないためにもいくつかネタを勉強した上でデビューした方がいいと思ったので、じっくりと修行させていただきました。実は私、師匠にも素性を嘘にならない程度にしか話してなかったんですよ(笑)。私はここでゼロから自分の人生を始めたかったので、テレビに出ていたことや東大卒といった色眼鏡で見られたくなかったんです。何者でもなく、ただの浪曲をやりたい人になりたかった。初舞台に立つことになり、プレスリリースを作ったことで周囲にも分かっちゃったんですが、師匠は「あんたテレビに出てたんかいな」と、その時驚かれました(笑)。

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》 浪曲を広めるため、新しい試みにも果敢にチャレンジ。
そして、海外公演も実現。