DOI JUNICHI 家業を継ぐという使命感。それは、志を正しく未来へとつないでいくということです。

05 DOI JUNICHI 「こんぶ土居」四代目 土居 純一


どい じゅんいち
1974年大阪生まれ。四代目として「こんぶ土居」を引き継ぐ。食育活動やだし教室などを通し、日本のだし文化の継承に取り組む。


「昆布は大阪が誇る食文化です」。そう話す土居純一さんは、大阪・空掘商店街で1903年創業の昆布屋「こんぶ土居」の四代目だ。28歳で老舗昆布屋を継ぎ、様々な取り組みを通じて昆布の魅力を伝え続ける土居さんに、大阪に根付く出汁文化の昔と今と未来、そして、食を通じて伝えたい思いを伺った。

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昆布は日本がオリジナルの、オンリーワンともいえる食文化


土居さんのお店「こんぶ土居」は創業100余年という老舗ですが、その創業年数から察しても、大阪と昆布との長く密接な歴史と関係性がわかります。

土居 大阪と昆布の歴史をひも解けば、北海道の主産物である昆布を大阪の庶民が食すようになったのは北前船の就航が始まった江戸中期から。当時、大阪は“天下の台所”とも呼ばれるぐらい経済力があり、食べ物にもこだわる土地柄だったことから、昆布をはじめ、多くの物産が大阪に集まったんです。その中で、大阪には昆布を活かす素地が周囲に揃っていたこともあって、昆布文化が広く浸透していきました。
大阪の昆布の使い方は主に3パターンあって、一つは出汁。これは大阪の水は軟水なので、国内でも出汁が出やすい土地なんですよ(注1)。二つ目は塩昆布。これを作るにはよい醤油が必要なんですが、近くの和歌山によい醤油蔵があったことが大きかったと思います。そして、三つ目のとろろ昆布は、酢で柔らかくした昆布を削ってつくるので、よい刃物が必要不可欠です。
大阪は堺に日本一の刃物技術があるなど、様々な好条件が揃っていたんですよ。かつては大阪名物と言えば、真っ先に昆布の加工品が挙げられました。大阪湾で採れない昆布をわざわざ北海道から持ってきて、大阪名物にまでしたことは希有なことだと思います。

(注1)硬水は昆布で出汁を取る時にカルシウムが昆布の表面に付着し、昆布の旨みが抽出しにくいとされる。

昆布といえば日本特有のイメージがあるのですが、海外ではどう評価されているんですか?

土居 昆布を食用にする文化を古くから持っているのは日本が世界で唯一だと思います。単純な話で、北海道に生えているような高品質な昆布は、他のどの国を見ても見当たりませんから。昆布は日本がオリジナルだといっていいし、オンリーワンともいえる食材です。
また、昨今は情報のスピード化も著しいので、昆布の情報もすごい勢いで拡散されていて、西洋料理の料理人が昆布を使ったり、中国で昆布の養殖が盛んになってきたりと、昆布を取り巻く状況は大きく変化してきています。
例えば、フランスのミシュランガイドで星を取っているレストランのシェフで、昆布を使ったことがない人はいないんじゃないかというぐらい、外国でも昆布の価値は高く認められてきています。そうやって海外でも評価されることは、日本人として、しかも昆布に関わる者としてはとてもうれしいですね。

それはすごいですね! でも、フランスにも昆布のよさが認められた理由はどうしてでしょうか?

土居 例えとしてフランス料理の話をしましたが、最近の料理はだんだん軽くなっていて、味を重層的に重ねるというよりも、できるだけシンプルに素材の持ち味を活かすことが求められている風潮があると思います。その点、昆布は旨みが底味として利いてくるので、それだけで結構な満足感が得られるんです。といっても、昆布の出汁はさほど主張しないので、それぞれの持ち味を消すことはなく、土台を上げるような役割を果たすわけです。そういう食材は他にはなく、ヨーロッパの人たちもその価値に気付いたことから、今のような評価が得られたんじゃないかと思います。
拙書『土居家のレシピと昆布の話』の中で、昆布出汁ミネストローネや昆布出汁リゾットなどを紹介しているんですが、それを作って食べていただくとその話も納得いくんじゃないかな。昆布出汁を使ったリゾットなんて、どう考えても“雑炊”になりそうですが、これが立派にリゾットが出来上がります(笑)。風味が前に出ず、底味を作るのが昆布の特長だとおいしく実感してもらえると思います。

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イタリアで故郷を誇りに思う気持ちに触れたことが、
家業の価値を再認識するきっかけに


やはり土居家の食卓には昆布は欠かせなかったんですか?

土居 昆布屋ですので日常の食卓には必ず昆布が並んでいましたね(笑)。基本的に大阪のご飯のお供である塩昆布はずっとありました。味噌汁も母が毎日出汁を取って作ってくれていましたし、母が出汁を取るその姿は幼少時代の記憶の一片として、今もしっかりと残っています。また、僕自身も料理が好きで、母が料理をするのをその横でずっと見ているような子どもだったんです。食に携わる人間が食品や料理に興味がないのは悲しいことだと思うのですが、ありがたいことに僕自身は食べるのも料理をするのも好きなので、それが今の仕事に繋がり、活かされていると思います。

小さい頃から食に関心が高かったということは、早くから店を継がれることは決めていたんですか?

土居 親に継げとはいわれたことが一度もなく、僕自身も28歳で店を継ぐまでは具体的には考えていなかったというのが本当のところです。実はイタリアに1年ほど生活したことをきっかけに、跡を継ごうと決めたんですよ。
イタリアはスローフードの国であり、伝統食材を守る運動においても先進国。地元の宝を大事にするといった考え方に触れたくて、生活費を稼ぐためレストランで働きながら、その間に食材をはじめ、建築や芸術などを見て回りました。そこで、イタリア人は自分たちの故郷に誇りを持って、その地域のものを大事にしていることを実感するわけですよ。
そして、日本のことも聞かれるんですが、いかに自分が日本のことを知らないかを痛感したんです。僕をはじめ、日本人は足元にあるよいものを見ずに、よそにばかり憧れているんじゃないかって。その時ふと自分の家業を振り返ったら、まさにジャパンじゃないですか。それこそイタリア人に見せられる独自の魅力じゃないかと考え始めたわけです。そうやって海外に行って初めて我が家業の価値を再認識したんですよ。

そして跡を継がれることになるんですね。

土居 どこにいても何をして働いていても、やっぱり頭の片隅には店のことがありましたから。いろんな仕事がある中で昆布は日本が中心であり、その中でも大阪が中心であることは間違いない。今となれば、それを仕事にできて、たくさんの人に理解してもらえるのはすごくありがたいことだと思っています。2015年のミラノ国際万博では、出汁取りの実演などで大阪の魅力を紹介させていただきました。僕がイタリアの文化を吸収したように、僕が日本の文化を伝える役割を担えることができているなら、素晴らしいことだと思います。

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