ホーム > サッポロを知る > サッポロビール物語 > ドイツでビール醸造を学んだ初の日本人
後に、開拓使で「麦酒醸造人」という職を与えられる17歳の青年、中川清兵衛が故郷の新潟をあとにし、横浜から国禁を犯しイギリスに渡ったのは1865年(慶応元)である。その後、ドイツへ移りそこで留学生総代の青木周蔵(後の外務大臣)と出会う。青木の薦めで、ベルリンビール醸造会社での修業がはじまった。当時のビール職人の労働は厳しく、土曜、日曜もなかったという。
中川清兵衛が修業したベルリンビール醸造会社
1875年(明治8)5月、2年2ヶ月に及ぶ中川の修業は終わった。会社から贈られた修業証書に「旺盛な興味と熱心さで、ビール醸造及び製麦の研究に励み全部門にわたり知識を習得。有能で勤勉な他国の一青年を教育し得たことは大きな喜びであり、心から前途に幸多かれと祈る」と記されている。中川は8月、10年ぶりに帰国した。
ベルリンビール醸造会社から贈られて修業証書
開拓使は1876年(明治9)6月、青木から推薦された中川を迎え醸造所の建設に着手。9月「開拓使麦酒醸造所」は完成する。サッポロビールの歴史はここに始まる。総工費は8,348円程、現在のお金に換算すれば約1億円。開業式では、積み上げたビール樽に「麦とホップを製すればビイルとゆふ酒になる」と白字で大きく書かれた記念写真が残っている。
「開拓使麦酒醸造所」開業式での記念写真
札幌初のビールは、冷製「札幌ビール」と名づけられ、1877年(明治10)9月に発売された。「冷製」とはドイツ醸造法による、低温熟成させたビールの意味のようだ。開拓使の依頼でホップやビールの成分分析を行っていた札幌農学校の教師ペンハローは札幌ビールを苦みがほどよく、なにより芳醇な香りが心地よい、と絶賛。ラベルに開拓使のシンボル「北極星」が描かれたビールは評判となった。
1877年(明治10)の冷製「札幌ビール」ラベル
開拓使に始まるサッポロビールの歴史は、おいしいビールを造るためのこだわりの歴史でもある。その一つは徹底した原料へのこだわり。自ら大麦、ホップの品種改良を行いビールに適した品種を開発してきた。原料にこだわるサッポロのこうした取組みは、世界のビール会社でもほとんど例をみない。
工場、博物館、記念館とサッポロの見学施設は多彩。そこを訪れてもらえばきっとサッポロビールの良さが、実感できることでしょう。
サッポロビールが取り組む研究開発をご紹介します。
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