会社情報

サッポロビールの歩み
サッポロビール年表
■冷製『札幌ビール』の誕生

『札幌ビール』のラベル(明治11年使用のラベル)

『札幌ビール』のラベル(明治11年使用のラベル)
明治新政府は1869(明治2)年、開拓使を設置し、北海道の開発に乗り出しました。以降、開拓使が廃止されるまでの十数年間、さまざまな事業が北の大地で展開されます。その中にはビールの醸造も含まれていました。1876(明治9)年6月、開拓使はドイツでビールづくりを修業して帰国した中川清兵衛を主任技師に迎え、醸造所の建設に着手します。同年9月、開拓使麦酒醸造所が完成。翌年、開拓使のシンボル、北極星をマークとした冷製『札幌ビール』を世に送り出しました。サッポロビールの発祥です。
■札幌麦酒会社の設立と『恵比寿ビール』の誕生

発売当時のラベル

発売当時のラベル

東京のビールとして評判を呼んだ『恵比寿ビール』。日本麦酒株式会社は1899(明治32)年現在の銀座に「恵比寿ビールBeer Hall」を開業。

東京のビールとして評判を呼んだ『恵比寿ビール』。日本麦酒株式会社は1899(明治32)年現在の銀座に「恵比寿ビールBeer Hall」を開業。
北海道庁設置に伴い、1886(明治19)年に麦酒醸造場(醸造所を改称)は、大倉喜八郎率いる大倉組商会に払い下げられます。翌年12月、渋沢栄一・浅野総一郎らが大倉から麦酒醸造場を譲り受け、札幌麦酒会社を設立。大きく飛躍する基礎が確立しました。一方、東京では1887(明治20)年9月、近在の実業家らが集まり日本麦酒醸造会社が設立されました。ドイツから醸造技師を招き、1890(明治23)年2月『恵比寿ビール』を発売。これがサッポロビールのもう一つの源流です。『恵比寿ビール』は発売早々東京のビールとして大変な人気を博しました。
■大合同、大日本麦酒株式会社の発足
ビール醸造所は一時期全国で数十にもおよんでいましたが、明治30年代後半には札幌、日本、大阪(旭ビール)、麒麟麦酒の4大会社が激しい競争を展開するにいたりました。日本麦酒を率いる馬越恭平は、1906(明治39)年、札幌、日本、大阪麦酒の3社を合併し、シェア7割を誇る大日本麦酒株式会社を発足させました。大正・昭和とビールの需要が伸びていく過程で、醸造技術、原料の品種改良など大日本麦酒が業界に果たした役割は多大でした。
■『ニッポンビール』から『サッポロビール』に

1964(昭和39)年、サッポロビール株式会社に社名を変更。

1964(昭和39)年、サッポロビール株式会社に社名を変更。
1949(昭和24)年9月、大日本麦酒は過度経済力集中排除法の適用を受け、日本麦酒と朝日麦酒の2社に分割されました。日本麦酒は『サッポロ』『ヱビス』の商標を継承しましたが、それらの商標は採用せず新たに『ニッポンビール』でスタート。しかし、数多くのビール愛飲家からは『サッポロビール』を懐かしむ声が後を絶ちませんでした。1956(昭和31)年、その声に応えるべく、まず発祥の地・北海道で『サッポロビール』を復活させ、その翌年には全国的に復活販売。そして1964(昭和39)年1月、会社名もサッポロビール株式会社に変更しました。
■名品。いま、よみがえる。『ヱビスビール』復活

名品の誉れ高い『ヱビスビール』が1971(昭和46)年に復活。

名品の誉れ高い『ヱビスビール』が1971(昭和46)年に復活。
大日本麦酒の主力ブランドであった『ヱビスビール』が1971(昭和46)年12月、28年ぶりに復活しました。サッポロビールの技術陣が副原料を使用しない本格的な麦芽100%ビールの製造に取り組み、わが国では戦後初めて発売された麦芽100%のドイツタイプのビールです。『ヱビスビール』はプレミアムビールとして発売され、「名品。いま、よみがえる。特製ヱビスビール」などの広告を展開、その品質の高さから大きな人気を博しました。
■ロングセラー、黒ラベル
ビヤホールの「生」を家庭で手軽に味わいたいという愛飲家の強いご要望にお応えするために、サッポロビールの技術陣は研究を重ね、生ビールのうまさをそのままびん詰めする技術の開発に成功しました。こうして1977(昭和52)年に発売されたのが『サッポロ〈びん生〉』で、当時「びん生党」という言葉も生まれるほどの支持を得ました。その後、愛称だった『黒ラベル』を新商品名として採用し、今日まで変わることのない人気を誇っています。
■サッポロビールの広告宣伝

1958(昭和33)年、「本場の味」を強調して「サッポロ」の名を高めた広告「ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー」

1958(昭和33)年、「本場の味」を強調して「サッポロ」の名を高めた広告「ミュンヘン サッポロ ミルウォーキー」


1970(昭和45)年から三船敏郎を起用して「男は黙ってサッポロビール」の広告を展開し大ヒットとなりました。

1970(昭和45)年から三船敏郎を起用して「男は黙ってサッポロビール」の広告を展開し大ヒットとなりました。


2000(平成12)年、山崎努と豊川悦司の男同士の熱い戦いを描いた黒ラベルのCMシリーズが大評判に。

2000(平成12)年、山崎努と豊川悦司の男同士の熱い戦いを描いた黒ラベルのCMシリーズが大評判に。

戦時中禁止されていた商標の使用が1949(昭和24)年に認められたのに伴い、ビール業界の宣伝活動も再開されました。サッポロビールの戦後の広告は1950(昭和25)年の『ニッポンビール』の広告から始まります。1954(昭和29)年には『ビールの王様』が誕生。当時の新進漫画家やなせたかしのイラストキャラクターを使用したこの一連の広告は、イベントと連動し、パブリシティ効果を計算に入れたもので、それまでの広告から一歩抜け出した統一感のある広告として注目されました。
1957(昭和32)年、『サッポロビール』の復活とともに、広告も本場の味を強調したものとなりました。このコンセプトを形にしたのが1958(昭和33)年の「ミュンヘン サッポロ ミルウォーキー」の広告です。まだ自由な海外渡航が許可されていない時代で、世界のビールの本場を世界地図に図案化した広告とキャッチフレーズは斬新かつ説得力があり、大きな反響を呼びました。
1970(昭和45)年には「世界のミフネ」が登場します。ポスターなどのデザインは極端に単純化されたもので、テレビの音声は音楽だけという徹底ぶりで「男は黙ってサッポロビール」という強烈なコピーを印象づけ、一世を風靡しました。
2000(平成12)年1月、サッポロビールの新世紀を象徴する斬新な『サッポロ生ビール黒ラベル』のCMを展開。第1弾「温泉卓球篇」は大きな話題を集め、CMデータバンクによるCM到達度ランキングで全業種中No.1に輝きました。
■サッポロビールは提案し続けます
130年前の開拓使麦酒醸造所から始まるサッポロビールの開拓者精神は、新商品開発にも受け継がれています。
2001(平成13)年、成長著しい発泡酒市場に投入した『サッポロ北海道生搾り』は爽快仕上げによるみずみずしい味わいのこれまでにない発泡酒として多くのお客様に支持されています。また、2004(平成16)年には、エンドウたんぱくという全く新しい原料と独自の製法を駆使し、かつてないスッキリ味を実現して新しい酒文化を創造した『ドラフトワン』を全国展開しました。さらに2006年4月に焼酎事業に参入するなど、変化するお客様のニーズを的確に捉えた商品の提案・育成をしています。

経営理念

会社概要

サッポロビールの歩み

サッポロビールの原料・品質へのこだわり

サッポロビールの研究開発へのこだわり

環境保全・社会貢献活動

ビールテイスト・焼酎事業

ワイン・洋酒

その他事業

ネットワーク

売上動向

会社情報トップへ戻る