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ホーム > お店とエリア > 近畿エリア(大阪・兵庫・京都・滋賀・奈良・和歌山) > OSAKA HOSHI 図★鑑 > SUNDAY カミデ

SUNDAY KAMIDE すがりついて、とことんまで勝負するのも面白いかなと。最近はそう思いながらやっていますね。

02 OSAKA HOSHI


さんでー かみで
「ワンダフルボーイズ」、「天才バンド」のメンバーであり、ボーカル/ピアニスト/ソロシンガー、また作詞家/作家としての活動と多数の顔を持つアーティスト。作詞作曲した「君が誰かの彼女になりくさっても」は、全国的に高い支持を得て話題となる。


地方には紀行や風土、土壌から生まれてくる独特の文化があり、ここ大阪も伝統芸能だけでなく、音楽においても大阪らしい個性を放つアーティストが数多く存在している。そんな中、近年、気炎を上げるアーティストの一人が、SUNDAYカミデだ。
関西を拠点に活動するバンド「ワンダフルボーイズ」のリーダー&ボーカリストであり、カリスマ的人気を誇る奇妙礼太郎、手島コージとの「天才バンド」としても活動。また、ネット配信動画「月曜プリマ」で軽妙なトークを繰り広げるMCや、今年でスタートして16年目を迎える人気ライブイベント「Love sofa」のオーガナイザーなど、八面六臂な活動を展開しては音楽シーンを盛り上げている。その勢いにさらなる拍車がかかるSUNDAYカミデにとっての音楽とは?大阪とは?

Digest Movie
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本格的に音楽活動を始めた時は、甘いかも分からんけど
面白くない世界やな、と思っていた。


現在、1stアルバムがロングセールスを更新中の3ピース・バンド「天才バンド」を筆頭に、大阪発のポップ・バンド「ワンダフルボーイズ」と、多方面でその活動が注目されていますが、そもそもバンド活動はいつぐらいから始めたんですか。

SUNDAYカミデ 中学の時にラグビー部の友達と始めたのが最初かな。小さい頃からピアノを習ってたんで、キーボードとしてバンドに加わりました。その後、高校でもバンドを組んだけど、当初は「ベース弾けるし」って友達に言ったものの、ベースなんて弾いたことないから、その日の帰りに楽器屋にベースを予約しにいきました。でも、結局はそのベースに売約済の紙が貼られていたのを友達に見つかって(笑)。ベースが弾かれへんのはバレたけど、逆に友達には「あいつ、すごい意気込みやな」と思われたみたい(笑)。

それ以降は音楽にどっぷりハマっていった感じですか。

SUNDAYカミデ 高校2年ぐらいからライブハウスに出演し始めたものの、ミュージシャンになろうとは全く思ってませんでした。ラグビー選手になろうと思ってたから(笑)。でも、その後いろいろあって、19歳の時に音楽事務所に所属して本格的に活動し始めて、オープニングアクトとかやらされたけど、「なんか違うな。こういうんじゃないよな」と、ずっと思ってて。当時のマネージャーに、「本気で音楽やりたいなら、お前ら甘いで」とか言われたこともありました。でも、甘いかもわからんけど、面白くない世界やな、と思って、結局そのバンドは解散したんです。その後はとにかく何かに打ち込みたくてビーチバレーを始めたんですよ。一年ぐらい本気で練習して、ある大会に出ることになったんですが、それがTVで放映されたのを、たまたま家で見た時に、真っ黒に日焼けしてパーマかけて、ガイコツのネックレスをつけた自分を見て、「こんなイキッたヤツ、めっちゃおもんないなー」と思ったのと同時に、もう一度ちゃんと音楽をやろうと思ったんです。

その頃からバンド活動と同時に、SUNDAYカミデさん主宰のライブイベント「Love sofa(ラブソファ)」も始動しましたね。

SUNDAYカミデ バンド活動としては、A.S.Pというバンドを結成して、その後はワンダフルボーイズ、そして天才バンドという流れに。また音楽をやろうと思った時に、バンドはライブハウスで挫折したんで、それなら昔から遊んでいたクラブで何かやりたいな、と思って立ち上げたのが「Love sofa(ラブソファ)」です。クラブイベントとライブハウスイベントを融合させたもので、2000年からスタートさせ、今年で16年目になりました!大阪のインディーシーンからミュージシャンを発掘するというもので、今では自分にとってライフワーク的な活動になっていますね。

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今は音楽活動において
一切カッコつける意味がなくなった。


2015年にSUNDAYカミデさんが作詞作曲し、奇妙礼太郎さんがカバーした『君が誰かの彼女になりくさっても』が大ヒットし、一気にメジャーシーンを駆け上がりましたが、実感はありますか。

SUNDAYカミデ やっぱり自分の中のターニングポイントとして、アンダーグラウンドシーンから今のような活動ができるようになったのは、『君が誰かの~』が世に広まったからとういのはあります。あの曲がなかったら、アンダーグラウンドの中に今もずっといてると思うし。それも悪くはないけれど、今は広がりを感じますね。できれば今のような状況をもう2年早く作りたかったというのが本音ではあります。今は2年分アンチエイジングして頑張っている感じ。今、38歳ですけど、36歳のふりをして頑張っているところです(笑)。

曲作りにおいて、『君が誰かの~』を筆頭に、SUNDAYカミデさんの書く歌詞はどこか身につまされる(注1)ものが多いですね。

SUNDAYカミデ それは僕が書く歌詞は、僕自身の経験を元にしているからかも。天才バンドしかり、もう一つのワンダフルボーイズは〈マジであったことポップミュージック〉というキャッチフレーズもあるぐらい、自分にあったことをそのまま日記のようにして歌詞にしているんですよ。昔はいろいろ考えて書いてた時期もあったけど、ある時、ダサいダサくないは度外視して、そのままあったことを歌詞にしたら気持ちよかったんです。音楽や歌詞に対してセキララでありたいと思っています。それが世の中の流れと合っているかは分からんけど、今は一切カッコ付ける意味がなくなったので。

注1)「君が誰かの彼女になりくさっても」は、〈ずっとずっと君が好き 誰かの彼女になりくさっても〉という印象的なフレーズから始まる。

確かに「~なりくさっても」という言葉の生々しさに、思わず心がひっかかった聞き手は多かったと思います。その独特な言葉選びのセンスや、その歌詞が生まれた背景に、大阪は大きく関係するんでしょうか?

SUNDAYカミデ 歌詞を書く際に一言でも聞き手の頭にフックをかけられる言葉を見つけられたら成功かなとは思っています。その一言をどうやって探すか、それがすべてですね。それと同時に自分があったことを書くとなると、自分が住んでいる場所に自然となるんで、大阪が舞台になった曲は多いでしょうね。今は東京と大阪を行き来しながら暮らしているんで、この先東京で生まれる曲もあると思いますよ。でも、大阪に帰ってくるという、今までの定住生活とは異なる暮らしが続くことで、また、新しい何かが作れるんじゃないかと思っています。

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》 大阪にいたからこそ培った音楽性が自分の中にある。