サッポロビール株式会社
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ホーム > お店とエリア > 北海道 > 浪漫邂逅-サッポロビールを創製した、男達の残響- > Introduction


北海道開拓の功労者である村橋久成が、
なぜ、歴史の表舞台に立てなかったのか。


 村橋久成、中川清兵衛、植村澄三郎の中で、私が最初に知ったのは村橋久成です。24~5歳の頃、当時、図書館として利用されていた時計台で何気なくめくった「北海道史人名辞典」に村橋の項があり、そこには「明治14年に開拓使を辞め、帰国する途中に病に倒れる」と書かれていました。村橋は薩摩藩出身で、黒田清隆をはじめとする北海道のトップも全員が薩摩藩出身。ということは、村橋も優遇されて当然なのに、なぜ途中で辞めてしまったのか、黒田とぶつかって辞めたのだろうかと疑問がわきました。

 その頃、私は国鉄の車掌でした。休日や非番の日は図書館に行ったり、歴史家の知人から話を聞いたりして、村橋の足跡をたどりました。そうしているうちに見つけた村橋の履歴書では、村橋は最後に奏任官になっていました。判任官があって、奏任官、勅任官ですから、奏任官にはなかなかなれません。そこでまた新たな疑問が浮かびました。それほどの立場にあった彼が、北海道の歴史の表舞台になぜ立てなかったのかと。琴似の兵村やサッポロビールのルーツ・開拓使麦酒醸造所を造ったという功労者であるにもかかわらず、です。

 村橋は一途というのか、上とぶつかるとわかっていながらも、自分の考えを曲げずに物事を推し進めてみようとする人物です。開拓使麦酒醸造所を札幌に建設するよう進言したのもそうですよね。村橋には、イギリス留学時代に培われた「近代化とはかくあるべき」という理念があり、それを激動期の日本に取り入れたいという夢があったのだと思います。彼はその夢の実現に、開拓使職員として純粋に突き進んだわけです。ところが、開拓使時代末期、村橋の目には、上司らが北海道の開拓よりも金儲けに走っているように見えてきた。それを、村橋は許せなかったのでしょう。破格の給与を棒に振って、自ら辞表を提出して北海道から去るのです。

 しかし、その末路はあまりにも惨めです。開拓使を辞めた後、村橋は姿を消し、やがて路上で亡骸として発見されます。その11年間、村橋の消息は途絶えたままで、これまでずいぶん調べましたが、その様子を窺い知ることのできるものは何も発見できずにいます。



時代の波に翻弄された中川清兵衛、
旗本の血が新時代を拓いた植村澄三郎。


 ビール醸造技師の中川清兵衛も植村澄三郎も、村橋を調べていくうちに知った人物です。中川に対しては、最初はいい印象を受けませんでした。ビール醸造が難航していたことから、村橋が中川に雇用契約を延長してほしいと頼んだところ、中川はドイツでの負債もあるので給料を上げてほしいと答えたそうです。それを知った私は、中川はどういう了見なんだと思いました。ただ、中川を知ると、彼の言動も理解できるんですね。若くしてドイツに渡り、明治維新をはさんで約10年間を海外で暮らしていたため、すっかり考え方が西洋風になっていたんです。ただ、中川にも哀れな面もあります。彼が帰国したのは明治8年で、その後まもなく、パスツールが酵母を発見し、ビール造りは転換期を迎えます。その時点で、中川がドイツで習得した技術は古くなってしまい、道庁は新しい技術を持ったボールマンという技師をドイツから招きます。そして、このポールマンが中川に新しい技術をまったく教えなかったため、中川は居場所を失い、開拓使麦酒醸造所を辞めることになるんですね。中川も時代の波に翻弄された一人だったと言えるでしょう。

 明治12年に開拓使に入った植村澄三郎は、村橋の部下の一人でした。植村は東京の出張所でビールなどの物産販売を担当していましたが、会計係に配属され、会計の知識を学びに夜学に通い始めます。そうして実力をつけた植村は、開拓使がなくなった後、北海道炭礦鉄道で会計課長を務め、その有能ぶりに目をつけた渋沢栄一から札幌麦酒会社へ誘われます。当時の札幌麦酒会社は状況が芳しくありませんでしたが、かつてビールを売っていた植村にとって、札幌麦酒会社は古巣のようなもの。植村には旗本の血が流れていますから、村橋が去り、中川が去った会社を今度は自分が立て直そうという気持ちがあったのでしょう。そして、いつかは故郷の東京に戻り、錦を飾ってやろう、札幌麦酒で作ったビールをもっと広めてやろうと奮起したのでしょう。植村がいなければ、サッポロビールそして日本のビール業界は異なる地図を描いていたはずです。

 激動の時代にあって、彼らは自分なりの美学をもち、夢をもち、一人ひとりがそれに向かって真摯に生きたと思います。彼らの人生そのものがドラマだと、私は思います。


田中 和夫(たなか・かずお)氏。

1933年、江別市生まれ。1982年に小説『残響』で「第16回北海道新聞文学賞」を受賞したほか、1983年には「国鉄加賀山賞」、1988年には「北海道文化奨励賞」をそれぞれ受賞。著書は、『わたしのさよなら列車』、『木製戦闘キ106』、『物語サッポロビール』、『北海道の鉄道』など。北海道文学館評議員、札幌文学編集人、鉄道林発行人。

田中先生の村橋研究は、約50年にわたる。メモがびっしり書き込まれた大学ノート、新聞のマイクロフィルム写真などを貼ったスクラップブック、取材中の写真をおさめたアルバムなど、いずれも貴重なものばかりだ。




田中和夫氏が講演するサッポロビール130年特別企画「札幌にビール産業の礎を築いた男たち」。村橋久成、中川清兵衛、植村澄三郎について3回にわたってお話をしていただきました。
※上記イベントは終了いたしました。